人物の噂・真相

【経営者の名言】スマートホームやIoT不動産管理で有名な古木大咲氏の名言集

【本記事においてはアフィリエイトやその他の収益を目的として、試供品または取材費をいただいて記事を掲載しています】


古木大咲氏は2006年に不動産会社を創業し、これまでの不動産業界のやり方にとらわれず、発想力と行動力によって新しい不動産管理サービスを提供しています。

若き経営者として活躍する古木大咲氏からはどんな名言が生まれているのでしょう?

今回は、経営者・古木大咲氏の名言を集めてみました。

古木大咲氏の人物像を知りたい、経営に成功している人物の名言を知りたいという方は、ぜひ参考にしてみてください。

 

 

スマートホームやIoTによる不動産管理で注目を集める古木大咲氏

まずは古木大咲氏の人物像について迫っていきましょう。

若くして経営を成功させている古木大咲氏ですが、その裏側にはかなり辛い経験が隠されていました。

 

■悩んでいた学生・フリーター時代

鹿児島県で生まれた古木大咲氏は、父親の死をキッカケに中学3年生で福岡県へと移住します。

その後福岡県内の高校に進学しますが、1年で中退してしまいました。

その後は県内でアルバイトを転々としながら、その場しのぎのような生活を続けていたのです。

ここまで見ると、不動産管理サービスで成功した人物の経歴とは思えませんが、ここから彼の転機が始まります。

 

■転機となった会社員時代

20歳を迎えた頃、このままではまずいと考えた古木大咲氏は、県内の不動産会社に正社員として入社しました。

不動産会社に就職できたのはたまたまだったそうですが、彼は自営業を営んでいた父親のように起業したいと考え、将来の独立にもつながる「営業職」になることを志望していました。

ただ、結果的に不動産会社は彼の経歴などから営業職ではなく、管理していた物件の清掃を担当するように命じます。

どうしても独立を目指したかった古木大咲氏は、平日は不動産の清掃を行いながら、休日には飛び込みで営業するようになっていったのです。

自らの力だけで不動産物件の飛び込み営業を行い、1年後には物件が売れ、それを機に営業職へと転身することができました。

営業職に転身した古木大咲氏でしたが、この頃からすでに従来の不動産会社が行っていたやり方に疑問を感じていました。

地道に回って営業をしていくことに効率の悪さを感じていたのです。

彼はITを活用した集客によって業務効率が上がるのではないかと考えます。

そして実際に稟議書を作成し、会社へ提出しました。

しかし、すぐに却下されてしまいます。

何せこれまでに不動産会社がITを活用する方法に前例がなかったこと、そして予算が300~500万円程度かかるということがネックとなり、会社側も却下してしまったようです。

古木大咲氏は諦めずに会社を説得し、100万円の予算を出してもらえました。

100万円の予算で作ったホームページからは月間30人近い問い合わせがあり、実際の購入にもつながっています。

 

■経営のピンチから生まれた新たな不動産管理サービス

古木大咲氏は不動産会社での実績を順調に積み上げ、25歳の時に起業を果たします。

起業した当初は資金も少なく、不動産関連の業務を幅広く取り扱っていました。

しかし、幅広く取り扱うことで業務効率の悪さを感じてしまい、1つの分野に絞った方が良いと考えます。

ここから投資用アパート事業に専念し、販売サイトを構築、わずか2年で40棟ものアパートを販売することに成功したのです。

しかし、思わぬピンチが古木大咲氏と会社を襲います。

それは、2008年に起きたリーマンショックです。

この影響で在庫物件が全く売れなくなり、資金難に陥って倒産しかけてしまいます。

何とか業績を上げ、会社倒産は免れましたが、いつ再びリーマンショックのような事態が訪れてしまうか分かりません。

そこで古木大咲氏はこれまでの在庫型モデルを見直し、新たに土地のマッチングを行ってアパートを建てるという、在庫を持たない新しいサービスを始めるようになりました。

その後、不動産管理にIoT技術を活用したスマートホームを取り入れることで、従来の不動産管理サービスに新しい風を吹き込んだのです。

 

 

古木大咲氏の名言を集めてみた

様々な困難を乗り越え、会社を10年未満で上場企業にまで成長させた古木大咲氏は、インタビュー記事などの中で数々の名言を生んでいます。

どんな名言が見られるのか、ご紹介していきましょう。

“リーマンショックにありがとう、です。あれがなかったら、この会社の今はなかったですよ”

上記項目でもご紹介したように、古木大咲氏が起業してから3年後、リーマンショックによって不動産が全く売れないような状況に陥ってしまいました。

これは古木大咲氏だけに言えることではなく、日本や世界にある不動産企業は少なからずリーマンショックの影響を受けています。

特に中小企業は対策する術もなく倒産に追い込まれてしまう状況となっていました。

古木大咲氏の会社でも3ヶ月程度給料が出せず、辞めていった方もいるようです。

このような状況になり、恐怖とプレッシャーで押し潰されそうになっていたのでしょう。多くの方はここで諦めてしまうことが多いと思います。

このピンチを乗り越えるために導き出した答えは、これまでの経営感覚ではいけないという考えです。

古木大咲氏の会社は起業当初から比較的順調な業績を残せており、物件も多く販売しています。

人間は一度成功してしまうとその成功していた方法を一新させ、新しい方法に乗り換えるということができなくなってしまいます。

しかし、実際にリーマンショックでは従来の在庫型モデルでは悪影響が出て倒産に追い込まれてしまっています。

これまでの経営感覚を捨てることが、新たなビジネスチャンスにつながったのだと考えられます。

“リーマンショックを経験して在庫を持つリスクを肌で感じたこともあり、その後の目標に『無借金で年商100億円』を掲げました。そして2012年にこの数字を達成し、この先どうやって企業を成長させていくかを考えたとき、IPOを目指すというのは自然な発想だったと思います。会社の信用力の向上、資金調達の多様化、リクルーティング面での有利さなど、会社としてさらなる飛躍を遂げるうえでメリットは大きいですからね。”

これはマザーズ上場を振り返った際に語られたものです。

会社によっては上場を果たすことは、資金集めだけを目的としている場合が多く見られます。

もちろん、資金集めが悪いわけではありません。

資金集めを行った時、どういう風に活用されていくのかが企業の成長につながるポイントだと言えます。

古木大咲氏も上場の目的は資金集めではなく、人材の確保と上場することで信用力の強化につなげることを目的としていました。

“仕事において最も大切なのは現場です。現場に問題点の解決策や新しいアイデアがあるわけですから、私はとにかく現場に出て、自分の目で確かめることを大切にしてきました。それと仕事を進めるうえで最も大事にしているのは『仕組みをつくること』。そもそも『仕事』という言葉自体、『“仕”組みをつくる“事”』を表していると私は考えています。”

経営者となるとつい会社の経営ばかりに目が行ってしまい、現場に目が向けられないことが多くなってしまいます。

しかし、古木大咲氏は会社を支える現場を最も重視し、自分の目で確かめてから経営につなげていくようにしていることが分かります。

 

 

 名言から見えてくる古木大咲氏の考え方をまとめると

古木大咲氏の3つの名言をご紹介しましたが、これらの名言から見えてくる古木大咲氏の考え方とはどういったものでしょう?

 

■「非常識」にこそ新しいチャンスが隠れている

不動産業界にはこれまで当然とされていた仕組みがありました。

それは業界の中で「常識」となっており、何の疑問も持たず仕事をしていた方は多いでしょう。

しかし、常識から新しいチャンスを見つけることはとても難しいです。

では、どうすれば新しいチャンスを見つけられるのでしょうか?

古木大咲氏は不動産業界でITを活用するという「非常識」を「常識」に変えたことで、業績を伸ばすことに成功しています。

リーマンショックの際にもこれまで常識とされていた在庫型モデルから在庫を持たないモデルへとシフトチェンジし、会社の業績を立て直すことに成功しました。

このことから、古木大咲氏の中では常識的な考えは安定するものの、そこから新しいものは生まれにくく、非常識だからこそ新しいチャンスが隠れているという考えになったのではないでしょうか。

 

■効率的な仕組みづくりを常に考えている

古木大咲氏が述べた名言の中で、仕事というのは仕組みを作る事だとあり、利益が出る仕組みを作っていく責任は、現場ではなく経営陣にあると考えています。

こういった考えに至っているのは、やはり現場を最も重視しているからだと考えられます。

現場を重視していなければ仕組みづくりの責任は経営陣にあるという考えにはなかなか至りません。

古木大咲氏の考えは現場にもしっかりと伝わっているようで、会社で働いている人からは多くの口コミが挙がっていました。

例えば、社員のやる気や達成度を年齢・社歴関係なく認めてくれるような環境ができているといった口コミがありました。

不動産業界の中でも未だに年功序列制度の企業があります。

特に管理職になってくると年功序列をうまく利用し、多くの業務を部下に任せてしまうといった方もいるようです。

古木大咲氏の会社ではそのような制度は一切ありません。

社員の多くがやりがいを持ち、目標に向けて仕事に取り組んでいることが分かります。

こうした仕組み・働きやすい環境を作った古木大咲氏は、社員から経営者として優れた人物に見えるのではないでしょうか。

古木大咲氏の考え方は、多くの企業にとってビジネスチャンスを得るために必要なものではないかと考えられます。