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【奮闘!】政治家中川郁子(中川ゆうこ)若い頃~現在の経歴や後援会情報!

中川郁子
【本記事においてはアフィリエイトやその他の収益を目的として、試供品または取材費をいただいて記事を掲載しています】


中川郁子(中川ゆうこ)は、政治家として活動している人物です。

名前を聞いたことがあるという人は多いでしょう。

しかし、中川郁子が現在どのような活動をしているのか知らないという人は少なくありません。

今回は、そんな中川郁子がこれまでに歩んできた経歴や最近の活動内容、夫・中川昭一に関する情報、後援会の有無、中川郁子弁護士との関係などについてご紹介します。

若い頃から現在までの様子をお伝えしていくので、どのような人物なのか知りたいと思っている人は、ぜひ目を通してみてください。

中川郁子の若い頃から現在までの経歴をチェック

中川郁子は、1958年12月22日に新潟県で生まれました。

鹿島建設に勤めていた岩田剛の娘として生まれ、聖心女子学院中等科、聖心女子学院高等科を卒業しています。

1981年3月には、聖心女子大学外国語外国文学科を卒業し、同じ年の4月には三菱商事に入社しました。

そして、1982年に日本興業銀行で行員を務めていた中川昭一との結婚を機に、退職しました。

そして、1983年1月に義父である中川一郎が急逝し、1983年12月に行われた第37回衆議院議員総選挙で中川昭一が初当選したことをきっかけに、選挙区の北海道帯広市に移ったのです。

2007年には特定非営利法人「ラ・テール」の代表になり、環境問題関連の啓蒙活動をスタートしました。

2009年8月に行われた第45回衆議院議員総選挙で中川昭一が落選し、同じ年の10月に急死してしまいます。

それを機に、公募に応募することを決め、2011年には支部長に選出されています。

2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙で北海道11区から出馬し、石破知裕氏を破って初当選しました。

2013年4月には衆議院農林水産委員会で初めての質疑を行い、2014年9月には農林水産大臣政務官に就任しています。

2013年12月に行われた第47回衆議院議員総選挙では、民主党が擁立していた三津丈夫氏や日本共産党の候補を破って再選を果たしています。

その後は落選してしまいますが、北海道第11区の支部長として政治活動は継続しています。

2019年8月には、次回も11区で出馬すると表明していました。

中川郁子の画像(若い頃~現在)を調査

中川郁子

中川郁子のホームページ内にあるプロフィールでは、幼いころからの写真を見ることができます。

赤ん坊の頃の中川郁子 幼少期の中川郁子

幼いころから愛されて育ってきたことがよく分かるような写真が残されているため、中川郁子の人柄が形成されてきた背景についても理解できるのではないでしょうか?

中川郁子の職場での写真 中川郁子と中川昭一のツーショット

中川昭一とのツーショット写真では、仲が良さそうな雰囲気も感じとれます。

また、ツーショットの上にある仕事場での写真からは、仕事熱心な様子や仕事にやりがいを感じているような表情を見てとれるでしょう。

当選と落選を経験した中川郁子の最近の活動内容

当選と落選を経験した中川郁子の最近の活動内容

中川郁子は落選を経験し、様々な活動を行っています。

続いては、最近行っている活動について見ていきましょう。

街頭挨拶を行う

落選してしまった中川郁子ですが、街頭挨拶は毎朝続けています。

街頭挨拶はとても地道な活動ですが、継続することで毎日の活動に共感してくれる人も増えてきます。

SNSでは、窓を開けて手を振ってくれる人も増えてきたと書かれていることから、多くの人から共感を得ている活動の1つだと言えるでしょう。

中川郁子の公式ツイッターより、毎日の街頭挨拶の活動状況が伺えます。

 

朝の8時前に投稿されたこちらのツイート。
多くの人に声が届くように、出勤時間に合わせて街頭挨拶をおこなっているようです。

「とかち観光大使」にも任命されている中川郁子は、自身の公式SNSでおいしいグルメなども紹介しています。

酪農に関する課題をヒアリングする

広尾農協で酪農に関する課題をヒアリングするという活動も行っています。

中川昭一が亡くなってから帯広畜産大学で研究生として学んでいた過去もあるため、酪農に関する興味も強く持っていると考えられます。

北海道は酪農が盛んなエリアでもあるので、どのような課題があるのか把握し、政策に盛り込んでいくことはとても重要なポイントです。

メルマガをスタート

中川郁子は、2020年8月からメルマガをスタートしています。

メールマガジンでは、様々な情報をできるだけ早く伝えるためのツールとして活用しようと考えられているようです。

それだけではなく、中川郁子自身が行っている取り組みや取り組みの中で得た情報を伝えるためのツールとしても活用していくようです。

定期的に送信されるメールマガジンでは様々な情報が手に入るので、中川郁子の取り組みなどについて知りたいという人はぜひチェックしてみると良いでしょう。

2020年10月現在では、すでにvol.27まで配信されていました。
vol.27では、「野上浩太郎農林水産大臣・片山さつき参議院議員の視察」についての様子を記載したり、
「新型コロナとインフルエンザの感染対策」として呼吸筋ストレッチ体操をおすすめしています。

色々な方へのインタビュー内容の紹介もしているので、興味がある方はぜひチェックしてみてください。

夫の中川昭一について

夫の中川昭一

続いては、夫である中川昭一がどのような人物だったのかみていきましょう。

 

中川昭一は、1953年7月19日に東京都で生まれました。

本籍地は北海道広尾郡広尾町ですが、父の中川一郎が結婚して間もなく東京に赴任したため、新宿区立落合第一小学校を卒業後、麻布中学校・高等学校に進学しました。

中学受験は塾や家庭教師に頼ることなく、参考書を使った自学のみで合格したという実績も持っている人物です。

高校卒業後は慶應義塾大学経済学部へ進学しましたが1年で退学し、東京大学文科一類に再入学しています。

専門課程は東京大学の法学部政治学科で政治を学びました。

 

そんな中川昭一が政界に入ったのは、父親が急死してからです。

選挙ではトップ当選を果たし、1989年には農林水産政務次官、1998年には農林水産大臣として入閣するという経歴を持っています。

その後も自由民主党組織本部長や財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融担当)といった様々な仕事をこなしてきました。

 

しかし、2009年10月4日に寝室で倒れている姿を中川郁子が発見し、救急搬送されましたが死亡が確認されました。

死因は急性心筋梗塞と説明されました。

四十九日法要後には、後援会組織である十勝連合後援会の解散が決定され、他の築講演会も解散や縮小することが決定したのです。

中川郁子(中川ゆうこ)の後援会はあるの?

中川郁子(中川ゆうこ)の後援会

中川郁子の後援会に関する情報は多くありませんが、Twitterを見てみると2018年に新生・中川ゆうこ後援会がスタートしたというツイートがあります。

後藤裕弘帯広商工会議所議員会長が会長を務めている後援会だったということがツイートからは分かります。

また、最近の中川郁子がツイートしている内容にも後援会会長会議に関することや高橋はるみ参議が事務所を訪問した際に後援会幹部とお出迎えしたことなどが盛り込まれているため、後援会は存在していることが分かるでしょう。

今後も政治活動を行っていくと想定されるので、後援会は今後も存在し続けるのではないかと考えられます。

参考:https://twitter.com/nakagawayuko/status/980410670280728581

参考:https://twitter.com/nakagawayuko/status/98041067028072858

中川郁子弁護士は別人!?

中川郁子弁護士

中川郁子弁護士は、名前が同じなので同一人物ではないかと思う人もいるかもしれませんが、この2人は全くの別人です。

中川郁子弁護士は岡山県出身で、京都大学文学部を卒業しています。

大学卒業後には広告制作やPR企画会社で働き、フリーのライターに転身しました。

1987年にはクルド人問題の研究科をしている夫と共に、トルコ共和国でおよそ3年間生活していました。

1994年には、夫と共訳書である『クルディスタン=多国間植民地』を出版しています。

弁護士登録したのは2005年です。

学生時代は法律とは無縁でしたが、トルコでの生活を経て、法の支配がどれほど重要か、法律が適正に機能することがとても大事だと実感しました。

それを気に弁護士になっています。

中川郁子弁護士の経歴を見てみると、全く別人出ることが分かるでしょう。

また、弁護士の方は名前の読み方が「ゆうこ」ではなく「いくこ」であるという点も2人の間にある大きな違いとなっています。

中川郁子のまとめ

中川郁子のまとめ

今回は、中川郁子の若い頃から現在までの経歴や最近の活動、夫の中川昭一について、後援会について、そしてよく間違えられる中川郁子弁護士についてご紹介しました。

中川郁子は幼い頃から学生の頃まで、政治とは無縁の生活を送っていました。

しかし、夫となる中川昭一と出会ったことが転機となり、自分自身も政界へと足を踏み入れる第一歩を踏み出したのです。

結婚当初は自分自身が議員として政界に足を踏み入れるとは思っていなかったかもしれませんが、夫の死後に選挙に出馬しました。

落選も経験していますが、それでも政治活動は続けていて、北海道第11区で出馬し続けることを表明しています。

そのような状況の中で中川郁子は、街頭演説や酪農に関する課題のヒアリング、メルマガのスタートなど政治活動につながるような活動を最近も行っています。

それは、今後も政界で活動を継続していきたいという思いが心の中にあるからだと言えるでしょう。

TwitterなどのSNSを見てみると、後援会があることも分かります。

今後、中川郁子がどのような活動をしていくのか、選挙への出馬情報などを知りたいという人はチェックしてみると良いでしょう。

また、メルマガに登録してみるのもおすすめです。