・森光太郎氏の人物像
・エンファム.を立ち上げた理由
・エンファム.が展開する事業
育児情報誌リトル・ママの名前は、子育てをする人なら誰もが一度は見たこと・聞いたことがあるのではないでしょうか。
リトル・ママを発行している株式会社エンファム.は、紙メディアやWEBメディアのほか、
全国最大規模を誇る子育て応援イベントを開催したり、最近ではママのためのスクール事業を行ったりと幅広い子育て関連事業を手掛けている企業です。
この記事では、エンファム.の会社概要や事業内容を紹介しているほか
代表である森光太郎氏について特にフォーカスしているので、気になる方はぜひご覧ください。
目次
株式会社エンファム.の代表・森光太郎氏とは?
画像引用元:https://www.wantedly.com/companies/l-ma
まずは創業者であり現代表でもある、森光太郎氏のプロフィールについてご紹介していきましょう。
森光太郎の生い立ちと家庭環境
森光太郎氏は、福岡県にある祖父の代から2代続く産婦人科医の家系に生まれました。
そのため、森氏本人も幼い頃から当然のように自分も医師になると考えていたそうです。
しかし、小学6年生の頃に母親が家を出たことをきっかけに状況が一変します。
中学1年生の頃に両親の離婚調停が始まり、結局離婚が成立したのは森氏が20歳の頃。
非常に長引いたことで、森氏は深く傷つき涙したことは1度や2度ではないと後に語っています。
それまでは医者の跡取り息子だったのが、いきなり母子家庭です。家庭が音を立てて崩れていくのを目の当たりにしていました。
いざこざに巻き込まれて、流さなくていい涙もたくさん流しました。
引用元:https://internet.watch.impress.co.jp/cda/president/2009/02/09/22358.html
それまで医者の跡取り息子として何不自由なく暮らしていた森氏にとって、かなり衝撃的な出来事だったのではないでしょうか。
高校は県立トップの高校へ!
幼い頃から優秀だったこともあり、小学生時代は人生で一番モテていたそうです。
しかし、小学校受験は全て落ちてしまい、名門進学校に受かった姉に比べると勉強に対するコンプレックスを持っていたと言います。
高校は福岡県内では最もレベルの高い福岡県立修猷館高校に進学しましたが、進学後は勉強についていくのが精いっぱいで学年最下位を取ったこともあったそうです。
部活動は小学校3年生から続けていた野球をやるべく、最初は野球部に入部しますが、途中で退部。
次第に学校もあまり行かなくなり、毎年進級会議に引っかかるほどギリギリの出席状況だったようです。
医者を諦め日大に進学
それでも幼い頃から漠然と考えていた医者になるという夢を叶えるため、いろいろな大学の医学部を受験しますが、ことごとく落ちてしまいます。
そして二浪した末、医者になることを諦め東京にある日本大学生産工学部に進学。
大学では軟式野球部と野球サークルに入り汗を流しましたが、同時にコンパやナンパに明け暮れ、大学ライフを満喫したとのことです。
恐らく、「医者にならなくてはいけない」という重圧から開放されたことにより、青春を謳歌してしまったということなのでしょう。
今でこそバリバリ第一線で活躍している森光太郎氏ですが、上記のような経験をしてきたからこそ、現在の精力的な事業運営に結びついていると言えるでしょう。
趣味や性格は?森光太郎の人物像
森氏の趣味は野球やヨガのようです。
さらに過去に経験したスポーツとして上記のほか、マラソンも挙げていました。
子どもの頃から野球をしていたこともあり、森氏は今でも体を動かすことが好きなのだそうです。
また、後程詳しく紹介しますが、森氏は会社員時代に営業として活躍していたことから、コミュニケーション能力に長けていたのではないかと考えられます。
営業という職種は客とコミュニケーションをとって、大概が必要ないものに興味を持ってもらい買ってもらう仕事な訳ですから、相当な話術がないと成立しません。
幼少期に数々の困難に直面してきた森氏ですが、曲がらずまっすぐに育ってきたことが窺えます。
森光太郎氏の就職について
上記でも軽く触れましたが、ここでは森氏の大学卒業後について詳しく見ていきましょう。
就職氷河期に就職!一生懸命働くも苦労や挫折を経験
森氏が就職するタイミングは丁度、就職氷河期と言われる世代だったため散々苦労したようですが、何とかジュエリー会社に内定が決まります。
仕事内容は主に展示会でジュエリーを売る仕事で、お客様相手の仕事はとても楽しかったそうです。
しかし、それでもジュエリーに関する知識が豊富なデザイナーには敵いません。
その時の森氏はデザイナーを「先生」と呼び、荷物持ちなどをしていたそうです。
デザイナーは専門学校卒、それに対し自分は大学を出ているにも関わらず、使い走りのような状況…
それを何とかしたいと考えていた矢先、景気の悪化によりリストラされてしまいます。
退職後は専門学校へ
自分もデザイナー(先生)と呼ばれるようになりたいと考えた森氏は、退職金として貰ったお金をつぎ込み、森氏は専門学校に入学します。
毎日学校へ行き、終われば居酒屋でアルバイト、休みは日曜だけという忙しい日々を送っていたそうです。
それでも収入は月11~13万円で、家賃などの生活を支払うと生活はいつもギリギリだったと言います。
毎日学校に休むことなく通い、バイトに明け暮れる日々でしたが、居酒屋でお客さんと仲良くなると、ちょっとした仕事を頼まれ収入を得ることができました。
また、店長も賄いを作ってくれたり、余ったご飯を持たせてくれたりしたそうです。
その時に森氏は、「一生懸命生きていると味方してくれる人がいるんだ」と感じたと言います。
再出発は地元福岡で
専門学校卒業後、東京のデザイン事務所に就職するものの、なんと予定していた仕事が無くなったことで2度目のリストラを経験します。
まさかの事態に精も根も尽きてしまった森氏は故郷である福岡に戻ることを決意。
そして、現在の仕事の原点である育児情報誌を手掛けている広告代理店に、就職することになったのです。
育児情報誌は掲載する企業から広告料としてお金を受け取ることで、無料で配布していました。
そのため、最初は契約を取れても、その費用に見合った効果が無ければ企業側も広告掲載を取りやめてしまうことが何度もあったそうです。
思うように広告料が稼げなくなったことで、森氏の所属する会社も育児情報誌の事業自体を止めようという話に。
しかし、せっかくいいコンテンツなのに勿体ないと感じた森氏は会社と直接交渉し、自分が全て担当することで情報誌を継続させることに成功しました。
成功したきっかけはママバイト
情報誌の全てを担当することになった森氏は、これまで育児情報誌を送っていた幼稚園や保育園を訪れることにしました。
自ら率先して現場を見て、働く人達の声に耳を傾けることで、少しずつ職員たちと打ち解け、現場の悩みを聞かせてもらうようになったそうです。
そして、ママたちをアルバイトとして雇い、母親目線の意見を出してもらい雑誌に落とし込むことで、
少しずつ読者を増やすことに成功し、広告も再び契約が取れるようになったのです。
起業に至るきっかけ
最初は季刊誌でしたが、評判が挙がるにつれ隔月になり、ついには月刊誌にしようという話が出ました。
しかし、会社側はもっと儲かるように森氏には売ることに専念させ、記事は外注するように指示されます。
さらに、これまで記事を書いてもらっていたママさんライターを森氏に無断で解雇したことで亀裂が入り、退職することになったのです。
その後、森氏は自ら起業することを決意します。
そのことをこれまで協力してくれていた仕事仲間に伝えると、なんと11人中9人がついてきてくれることになったのです。
上記の経緯については下記のインタビュー記事でも語られているので、森氏のことをもう少し詳しく知りたい方はぜひご覧ください。
株式会社エンファム.の創業から現在に至るまで

森氏は2001年に独立し、エンファム.の前身となる有限会社イリスを設立しました。
その後、資本金を1,000万円に増資したのをきっかけに2006年5月に「株式会社リトル・ママ」へと社名を変更。
さらに、2020年には家族を拡大するという意味の「エンラージ ファミリー」の造語である、現在の株式会社エンファム.に2度目の社名変更を果たします。
ここからは、そんなエンファム.が行っている事業や森氏の役割について、お話していきましょう。
エンファム.の展開する事業と森氏の現在の役割
リトル・ママとして発行していた育児情報誌「リトル・ママ」は名前もそのまま、現在も発行しています。
画像引用元:https://enfam.jp/service/
もちろん、育児情報誌だけではなくリトル・ママの名が付いた複数の事業を立ち上げ、日々ママたちの交流の場・情報収集の場として多くの人をサポートしています。
主な事業は以下の通りです。
・リトル・ママWEBの運営
・子育て情報交流サイト「リトル・ママ」の運営(2022年2月にリトル・ママWEBと統合)
・リトル・ママビジネススクール など
ではなぜ、社名を変更したかというと、これまでは子どもたちの未来を応援するためにまずママの支援から。という想いで事業を展開していました。
しかし、これからはさらに視野を広げ、ママだけでなく、子どもに関わる全ての人を応援していくために、
「エンラージファミリー」という家族を拡大するという意味の造語から取って、社名をエンファム.に変更したのです。
現在、運営されている数々の事業を見ると、社名変更の意図が垣間見えることでしょう。
ちなみにエンファムの後に付いている「.」(ドット)は、黒字をどっと増やすという意味合いが込められているそうです。
森氏が考えたのか、会社の方針でそうなったのかは定かではありませんが、こういった茶目っ気がある事自体、エンファム.が多くの人に愛される由縁なのでしょう。
エンファム.での森氏の役割は
リトル・ママはエンファム.に変わり、新しいスタートを切ったわけですが、森氏は引き続き代表取締役CEOとして先頭に立って活躍しています。
自身の経験から子どもの教育や育児に対して、並々ならぬ想いがある森氏。
そのポリシーはエンファム.の社員たちにも脈々と受け継がれています。それは下記の動画を見ても、一目瞭然です。
今後も、森光太郎氏を先頭に社員一丸となって世界中の子どもたちを笑顔にするため、
様々な事業を展開していくのは間違いないでしょう。
エンファム.のことがもっと知りたくなった方は、ホームページに「会社説明会」「事業内容紹介」「部署ごとの仕事紹介」などの動画がアップされているので、ぜひチェックしてみてください。
公式ホームページ:https://enfam.jp/career/ht
森光太郎氏のSNS情報
森氏の現在の役割について分かったところで、森氏のSNS情報を見ていきましょう。
残念ながら2022年5月現在、アクティブで更新されているものは発見できませんでした。(インスタグラムは除外)
しかし、インスタグラムはアカウント非公開なものの紹介文に気になる記述を発見!
「2022年2月にはバブル世代のじぃじばぁば向けに【bjb】というメディア配信開始」
上記の予告どおり、エンファム.は新たなメディア、「bjb」をスタートさせました。題して「シニア層を元気にするメディア」ということです。
今までは子どもやパパママを応援してきたエンファム.ですが、今度はシニアの方々を対象としたサービスを始めたとあって、気になっている方もいるでしょう。
もちろん、従来の子育て支援は継続しつつ、あくまで新規事業の1つとして立ち上げた意欲的な新メディアと言えます。
すでに公式サイトが開設されていますが、併せてbjbの季刊誌も創刊されたようです。
季刊誌では、同じくバブル世代である芸能人とのインタビューや健康関連の役立つ情報などの掲載が予定されているとのこと。
この記事を読んでbjbを知ったママ・パパは、ご自分の両親に教えてみるのも良いですね!
まとめ
画像引用元:https://corp.l-ma.co.jp/2020/12/25/enfam/
ここまで、リトル・ママの創業者で現在の株式会社エンファム.の代表取締役CEOを務めている森光太郎氏について詳しくご紹介しました。
両親の離婚や受験失敗、2度のリストラやその後の起業など、なかなか波乱万丈な人生を送ってきたことがわかりました。
しかし、それでも「一生懸命生きていると味方してくれる人がいる」と気付いた森氏は、どんな場面でも折れることなく前向きに取り組んできたようです。
今では無料配布の育児情報誌のほかに、全国最大規模のイベントを開催したり、WEBサイトやアプリを運営したりと幅広い事業展開を行っています。
さらに子育て応援男性アイドルのプロデュース(現在は不明)など、これまでの枠組みにとらわれない新しいことにも挑戦。
最後にも述べましたが、育児支援の他にプレママやおじいちゃん・おばあちゃんを対象にしたサービスの展開も視野に入れているとのことです。
森光太郎氏、エンファム.ともに今後のさらなる活躍が期待されます。
・医者の家系に生まれ、将来を約束されていた
・両親の離婚や2度のリストラなどを経験してきた苦労人
・子育ての背景にある社会問題に真っ向から挑んでいる
・子どもの未来を守ろうとエンファム.を立ち上げる