人物の噂・真相

森光太郎(株式会社エンファム代表)に迫る!日本最大級の育児支援企業エンファムとは?

育児情報誌リトル・ママは、子育てをする人なら誰もが一度は見たことがあるのではないでしょうか。
リトル・ママを発行している株式会社エンファムは、紙メディアやウェブメディアの他、全国最大規模を誇る子育て応援イベントを開催したり、最近ではママのためのスクール事業を行ったりと幅広い事業を手掛けている企業です。
この記事では、
・リトル・ママ創業者で起業家である森光太郎とはどのような人物なのか
・起業するに至った経緯は何なのか
・今後の事業展開
について、詳しく解説していきます。
特に代表である森光太郎氏についてフォーカスしているので、気になる方はぜひご覧ください。

起業家・森光太郎氏とは?

まずは起業家、森光太郎氏のプロフィールについてご紹介します。

森光太郎の生い立ちと家庭環境

森光太郎氏は福岡県にある祖父の代から2代続く医師の家系に生まれました。
そのため、森氏本人も幼いころから当然のように自分も医師になると考えていました。
しかし、小学6年生の頃に母親が家を出ます。
中学1年生の頃に両親の離婚調停が始まり、結局離婚が成立したのは森氏が20歳の頃。非常に長引いたようです。
それまで医者の跡取り息子として何不自由なく暮らしていた森氏にとってかなり衝撃的な出来事だったのではないでしょうか。

高校は県立トップの高校へ!

幼い頃から優秀だったこともあり、小学生時代は人生で一番モテていたそうです。
しかし、小学校受験は全て落ちてしまい、名門進学校に受かった姉に比べると勉強に対するコンプレックスを持っていたと言います。
高校は福岡県内では最もレベルの高い福岡県立修猷館高校に進学しましたが、進学後は勉強についていくのが精いっぱいで学年最下位を取ったこともあったそうです。
部活動は小学校3年生から続けていた野球をするため、最初は野球部に入部しますが、途中退部します。
次第に学校もあまり行かなくなり、毎年進級会議に引っかかるほどギリギリの出席状況だったようです。

医者を諦め日大に進学

それでも幼い頃から漠然と抱えていた医者になるという夢を叶えるため、いろいろな大学の医学部を受験しますが、全て落ちてしまいます。
そして二浪した末、医者になることを諦め東京にある日本大学生産工学部に進学したのです。
大学では軟式野球部と野球サークルに入り、楽しい学生生活を送ったとのことです。

森光太郎の趣味や性格は?

森氏の趣味は野球やヨガのようです。
さらに過去に経験したスポーツには上記の他、マラソンも挙げています。
子どもの頃から野球をしていたこともあり、森氏は今でも体を動かすことが好きなようですね。
また、後程詳しく紹介しますが、森氏は営業として活躍していたことから、社交性とコミュニケーション能力の高さが伺えます。

森光太郎氏の就職、会社員時代について

上記でも軽く触れましたが、ここでは森氏の大学卒業後について詳しく見ていきましょう。

就職氷河期に就職!一生懸命働くも苦労や挫折も経験

就職するタイミングが就職氷河期だったため苦労しますが、何とかジュエリー会社に決まります。
仕事内容は主に展示会でジュエリーを売る仕事で、お客様相手の仕事はとても楽しかったそうです。
しかし、それでもジュエリーに関する知識が豊富なデザイナーには敵いません。
その時の森氏はデザイナーを「先生」と呼び、荷物持ちなどをしていたそうです。
デザイナーは専門学校卒、それに対し自分は大学を出ているにも関わらず、使い走りのような状況…それを何とかしたいと考えていた矢先、景気の悪化によりリストラされてしまいます。

退職後は専門学校へ

退職金として貰ったお金をつぎ込み、自分も先生と呼ばれるようになりたいと、森氏は専門学校に入学します。
毎日学校へ行き、終われば居酒屋でアルバイト、休みは日曜だけという忙しい日々を送ります。
それでも収入は月11~13万円で、家賃などの生活を支払うと生活はいつもギリギリだったと言います。

一生懸命生きていると味方してくれる人がいる

毎日学校に休むことなく通い、バイトに明け暮れる日々でしたが、居酒屋でお客さんと仲良くなると、ちょっとした仕事を頼まれ収入を得ることができました。
また、店長も賄いを作ってくれたり、余ったご飯を持たせてくれたりしたそうです。
その時に森氏は、「一生懸命生きていると味方してくれる人がいるんだ」と感じたと言います。

再出発は地元福岡で

専門学校卒業後、東京のデザイン事務所に就職するものの、なんと予定していた仕事が無くなったことでまたしても職を失ってしまいます。
さすがの事態に落ち込んだ森氏は故郷である福岡に戻ります。
そして現在の仕事の原点である育児情報誌を手掛けている広告代理店に就職することになったのです。
育児情報誌は掲載する企業から広告料としてお金を受け取ることで、無料で配布する形式です。
そのため、最初は契約を取れても、その費用に見合った効果が無ければ企業側も広告掲載を取りやめてしまいます。
思うように広告料が稼げなくなったことで、森氏の所属する会社も育児情報誌自体をやめようという話になりました。
しかし、せっかくいいコンテンツなのに勿体ないと感じた森氏は会社と交渉し、自分が全て担当することにしたのです。

成功したきっかけはママバイト

全て担当することになった森氏は、これまで育児情報誌を送っていた先を回ります。
その中で、現場を見て、現場の声を聞いたことで、改めてコミュニケーションを取ることの大切さを感じたと言います。
そして、ママたちをアルバイトとして雇い、母親目線の意見を出してもらうことで、少しずつ読者も増えていき、広告も再び契約が取れるようになったのです。

起業に至るきっかけ

最初は季刊誌でしたが、評判が挙がるにつれ隔月になり、ついには月刊誌にしようという話が出ました。
しかし、会社側はもっと儲かるように森氏には売ることに専念させ、記事は外注するように指示されます。
さらに、これまで記事を書いてもらっていたママさんライターを森氏に無断で解雇したことで亀裂が入り、退職することになったのです。
その後、森氏は自ら起業することを決意します。
そのことをこれまで協力してくれていた方たちに伝えると、なんと11人中9人がついてきてくれることになったのです。

株式会社エンファムの創業から現在に至るまで

森氏は2001年に独立し「リトル・ママ」を起業した後、2020年に株式会社エンファムへと会社名を変更します。

エンファムの展開する事業は?リトル・ママはどうなったの?

リトル・ママとして発行していた育児情報誌「リトル・ママ」は名前もそのまま、現在も発行しています。
その他にも日本最大級の子育て情報交流サイトを作り、ママたちの交流の場として多くの人に活用されています。
ではなぜ、社名を変更したかというと、これまでは子どもたちの未来を応援するためにはまずママの支援からという想いで事業を展開していました。
しかし、これからはさらに視野を広げ、ママだけでなく、子どもに関わる全ての人を応援していくために、「エンラージファミリー」という家族を拡大するという意味の造語から取って、社名をエンファムに変更したのです。

エンファムでの森氏の役割は

リトル・ママはエンファムに変わり、新しいスタートを切ったわけですが、森氏は引き続き代表取締役CEOとして先頭に立って活躍しています。
現在福岡本社に加えて、東京と大阪にも拠点を構えてます。今後も、世界中の子どもたちを笑顔にするために様々なメディアで事業拡大していくのではないでしょうか。

まとめ

ここまで、リトル・ママの創業者で現在の株式会社エンファムの代表取締役CEOを務めている森光太郎氏について詳しくご紹介しました。
両親の離婚や受験失敗、2度のリストラやその後の起業など、なかなか波乱万丈な人生を送ってきたことがわかりました。
しかし、それでも「一生懸命生きていると味方してくれる人がいる」と気付いた森氏は、どんな場面でも折れることなく前向きに取り組んできたようです。
今では無料配布の育児情報誌の他に、全国最大規模のイベントを開催したり、WEBサイトやアプリを運営したりと幅広い事業展開を行っています。
さらに子育て応援男性アイドルのプロデュースなど、これまでの枠組みにとらわれない新しいことにも挑戦しています。
今後更なる活躍が期待できますね。