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明治の新宿中村屋はサロンだった!?インド人からカレー伝来!?

みなさん、こんにちは。

私のサイトへ訪問してくださりありがとうございます。

もう夏休みに入り、お出かけする人も増えたのではないでしょうか?

旅行など遠出するのもとても良いですが、都内などにショッピングやランチなどでお出かけするのも楽しいと思います

本日はひとつのお出かけスポットの提案という意味を込めて、新宿中村屋 について記事を書いていきたいと思います。

新宿中村屋とは?

まずは新宿中村屋を運営する、株式会社中村屋について見ていきましょう。

株式会社中村屋は、創業が明治341901)年1230日と大変歴史の長い会社となっており、現在の代表取締役は鈴木達也氏で、売上高は2018331日時点では41358百万円となっています。

創業時は東大正門前にあったパン販売店中村屋を相馬愛蔵と良(黒光)夫妻が買い取り、個人経営で始めたということです。当時は夫婦ともに学校出であったことから「書生パン屋」というように親しみを込めて呼ばれ、繁盛したそうです。

相馬夫妻は「己の生業を通じて文化・国家(社会)に貢献したい」という信念をもっており、そのためか中村屋には、明治の末から大正にかけて、美術、演劇、文学、その他広い分野にわたる多彩な顔ぶれが集まるようになり、この知識人の集いは中村屋サロンと呼ばれるようになりました。                                          

新宿中村屋の創業エピソード・施設について

■新宿中村屋設立の創業について

創業当時は東京・本郷にパン屋として創業しました、1904年には創業者の相馬愛蔵がシュークリームの美味しさに感動し、クリームパンを創案しています。中村屋といえば本格カレーのカレーパンが有名なイメージですが、日本初のクリームパンが考案されたところでもあったのですね。

(ちなみに、カレーパンの創案に関しては、名花堂の中田豊治が1927年に開発した洋食パンが起源だとする説と、新宿中村屋がインド独立運動家のラス・ビハリ・ボースを迎えた際、そこで純インドカレーが伝来し、これにヒントを得た相馬愛蔵によって発明されたという説などがあるみたいです。)

 ■新宿中村屋ビル(旧本店)について

平成261029日にグランドオープンした、新宿中村屋ビルにはCOACHをはじめとするテナント8店と当社店舗3店の合計11店と美術館があります。8階のレストランGranna、レストラン&カフェMannaでは中村屋のこだわりを含んだ料理を味わうことができます。3階の中村屋サロン美術館には明治から大正、昭和初期に活躍し、新宿中村屋に集った芸術家たちの作品が展示されており、様々な視点で新宿中村屋の歴史を実感することができます。

新宿中村屋の歴史・商品開発秘話など

■新宿中村屋の発展の歴史

開業以来、商売は順調に進みましたが、その増収が税務署の目にとまり、中村屋は苛酷な税を課せられてしまいます。

当時の課税の仕組みから、大抵他の商人は実際の売上高よりも少なく申告し、税務署もそれを見越して上乗せ課税することが慣例となってたのですが、創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻は売上高をそのまま正直に申告していたようです。

この部分からは創業者のまじめな人柄が伺えますね。

そこで、夫妻は「売上を増やす他に道はない」と考え、支店を出すべく、有望とみられる大久保の新開地や千駄ヶ谷方面などの地域に従業員を行商に出したり、自ら赴いたりし、市場調査を始めます。そこで創業者の相馬愛蔵が目をつけたのが新宿だったようです。

中村屋が新宿に根付くようになったのは、この時からなのですね。

当時の新宿はまだみすぼらしい街でしたが、お得意様の数よりも、「将来の発展の上から市内電車の終点以外に適地はない」(相馬愛蔵『一商人として』)と判断し、将来性で判断した創業者の先見の明は素晴らしいですね。

ちなみに、当時の新宿は「殺風景でちょっと裏手に入れば野便所があり、筋向かいの豆腐屋のブリキ屋根が風にあおられてバタバタと音をたてている」という、すさんだ雰囲気の馬車だったようです。

このように中村屋は明治40年に支店を新宿に出店します。

そして創業者の予測どおり、売り上げは好調し、明治42年には本店を新宿の現在地に移転します。それが中村屋の経営が新しい局面を迎えることにつながりました。

製造場所はそれまでよりも広くなり、売り上げの平準化を図り経営の効率を上げるため、和菓子の製造販売の計画も始めたのです。

和菓子の開発に当たり、手始めにパン屋の和菓子をお客様に評価していただくため「材料の精選」に徹する必要があると考えた愛蔵は、まず初めに上等のもち米を使った賃餅を廉価で売り出します。損をすると思いきや、その策が功を奏し、お客様から中村屋の商品は「材料を精選した優良品である」ことが認められ、和菓子の販売は軌道に乗りました。

今も中村屋の商品はクオリティが高いというイメージがありますが、そのコンセプトの根幹にあったのは、このような歴史と創業者の考え方にあったのですね。   

■中村屋に所以のある外国人

「中村屋」ときくと、その名前からかドメスティックなイメージを持つかもしれません、

しかし実は中村屋には、明治・大正などといった古い時代にもかかわらず、何人もの外国人が訪れ、その商品開発に影響を与えているのです。

【インド独立運動の志士 ラス・ビハリ・ボース】

1886年頃、当時、イギリスの統治下にあったインドでは独立の気運が高まっており、ボースも独立運動に身を投じ、イギリス政府から厳しい追及を受け、日本に亡命します。

しかし、当時日本は日英同盟を結んでおり、日本においても国外退去が命じられますが、これを匿ったのが、創業者の相馬愛蔵ということです。

ボースは、中村屋で祖国インドの味を日本に伝えるため、純印度式カリーを名物料理にした喫茶部をつくろうと提案し、昭和21927)年612日、喫茶部(レストラン)を開設されました。これが中村屋における、純印度式カリーの始まりです。

【ロシアの盲目の詩人 ワシリー・エロシェンコ】

エロシェンコはイギリスの盲学校で勉学中に日本の按摩の話を聞き、はるばる日本を訪問し、のちに中村屋のアトリエに寄宿します。

創業者の相馬黒光はロシア文学好きでロシア語が堪能だったのです。

これがきっかけで、中村屋にポルシチが伝わったようです。

口コミ・評判について   

■口コミ(商品・レストラン)(カレーパン・ピロシキ)

新宿中村屋楽天市場店(通販)における商品レビューをのぞいてみました。

【通販・商品】

「お世話になったのは2回ですが、中村屋様の 大好きな中華まんやスイーツを 自宅に居ながら 購入出来るのは 本当に嬉しいし、さすがに・・ 対応も しっかりしていると思います(^^)

「何度もリピしています。中村屋さんのカレーは間違えなしです。ちょっと高いですがその分美味しいですね。きちんとチルドで送られてきます。」

「冷凍品丁寧な梱包で届きました、有難うございました。」

「今日届きました。迅速かつ安全な梱包で無事に受け取ることができました。どうもありがとうございました。」

「発送が早くて助かりました。ありがとうございました。」

「大変迅速、且つ丁寧な対応で、安心して、お買い物ができました。」

「母の日で利用しました。指定日も対応して頂き、大変助かりました。梱包もきれいでした。また利用しようと思います。」

「出産祝いのお返しに購入しました。カレーは、万人が好きな食べ物なので、選びました。大人味ですが、受け取った方の反応はいいです。」

「今まで食べたカレーのなかで、一番、美味い。」

「申し分のないお菓子に、申し分のない対応。さすが老舗だけの事はあります。皆さんにもお薦めのショップです。」

配達のスピードは迅速で、品質も良く、★4.72(★は全部で5)と評価はとても高かったです。

それでは新宿中村屋が運営しているレストランMannaのレビューをみてみましょう。

Manna

「中村屋純印度式カリー 1,620

中村屋のカレーといえばこれ!コクがあり香りが鼻に抜けますー♪

スパイスが効いてピリ辛。食べてると必然的に体もポカポカ。だからといって刺激は強すぎずまとまった仕上がりです

カレーはさらっとしていて、チキンとじゃがいもが顔を覗きます。チキンは柔らかいものの骨付きで食べにくいい。けどウマイ!

複雑なスパイスの味はもあり。でも「伝統」や「人が人を呼ぶ」ような付加価値で人気が出てる気がしてならないです

単に期待が高まり過ぎただけかもしれませんが、普通に美味しいカレーだという印象

とはいえ、こういうのは家庭で出せない味なので、やっぱり外食で食べないと!

付け合わせでラッキョやピクルスもあり。腹8分目です☆」

「中村屋さんは30数年前、カレーライスに全く興味の無かった私が此方の「コールマンカリー」を頂き、あまりの美味しさに自分の中にアッラー( ) が覚醒してしまった、とても印象に残るお店であります。」

「気づいたのは、お米が美味しいこと。これは評価高いですよね。私には量が多くて残しちゃいました。

食後にはアイスインドティー。

奇しくも両隣が初老の上品なおじさま。

右隣の方はインドカレー。ゆっくりと楽しんでいらっしゃいました。

左隣の方は、なんと麻婆豆腐定食!そういうメニューもあるんですね。私はカレーのページしか見てませんでした。

好奇心から、ちらりと盗み見てしまいました。あら〜、美味しそう❗️土鍋に入ってますよ。食べてみたいけど、きっとここに来たらカレーを注文しちゃうんだろうな。」

20世紀からの歴史を継ぐ上質な味は変わらなく、高評価を得ているようです。

お米などの材料も良く、食事にいらしている方も、上品な方が多いようですね。

 まとめ

新宿中村屋の歴史から、レストランのレビューなどを調べていきましたが、いかがでしたでしょうか?

 

予想以上に、ディープな歴史のエピソード、ドメスティックな名前からは想像できないほどの国際性、本格的な料理の評価の高さに、今日のランチはいきなり新宿中村屋のカレーを食べに行こうかな?などと思ってしまうほどでした。

 

もし創業者である相馬愛蔵と黒光夫妻の歴史など、もっと詳しく知りたいという方がいらっしゃるなら、長野県の二人のゆかりの地である長野県安曇野市へ訪れてみるのはどうでしょうか?若かりし頃、黒光に片思いをしていた、日本画壇の巨匠、萩原碌山の、「碌山美術館」に訪れれば、新宿中村屋のサロン・アトリエに当時たむろしていた、高村幸太郎などの芸術家たちの作品を見ることもできます。

このように、新宿中村屋の歴史をみていくと、明治期の芸術界・文学界までたどることができ、とても面白いですね。

 

もっと詳しいことが知りたいという方がいらっしゃるのなら、新宿中村屋のホームページを見に行ってみるのはどうでしょうか?

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